こんにちは、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
読書会の開催や発信活動を通して、本の魅力や読書の素晴らしさを伝えています。
今回紹介する本は、永田希『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)です。
『再読だけが創造的な読書術である』(筑摩書房)を読み、こちらの本を再読しました。
本を買ったはいいものの読んでいない状態になってしまうことを積読と呼ばれています。
人によって冊数はまちまちかと思います。
ちなみにわたしはこの記事を書いている時点で94冊となっています。
積読というとどうしてもうしろめたい気持ちがあります。
しかし、著者は積読という状態こそがあるべき姿であるとして説いています。
どういうことでしょうか?
そもそも本を読んだというのはどういう状態でしょうか?
筆者の言いたいことを正確に読み取ることであると考えられます。
小説であればどっぷりと世界に浸り、感動を得ることかもしれません。
どんな状況であれ、全てを理解するという状態は不可能です。
例えば、わたしがカレーの魅力について語った文章があったとします。
それを読んでもらい、理解したと思っても著者と同じ考えに至ることはできません。
できたと思ってもそこには必ず差が生まれます。
また、書物の内容を知るがゆえに解釈に差が生まれ、自分の考えとの齟齬が生まれることがあります。
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫)から多く引用されていますが、本を語るうえで本を読んでいることは必須ではない、むしろ時として邪魔になるというのはなんとも逆説的です。
また、積読というのは本に限ったことではありません。観たいと思っている動画もそうですし、未読のメールにも当てはまります。
現代のわたしたちはそうした情報の濁流の中を生きており、全ての情報を網羅しておくことは不可能です。
そこで必要になってくるのが戦略的な積読になります。
全てを得ようとすると情報の濁流に飲み込まれてしまいますので、そうならないように自分の興味、関心のある事柄に沿って整理、管理をしていくことです。
ものとしての本であれば、本棚になりますし、読書メーター等、読書系のSNSもおすすめです。
自分にとっての読書環境を整えていくための積読を筆者は「ビオトープ」と表現していました。
ビオトープとは校庭にある池のようなひとつの閉じた生態系のことを指します。
情報であふれる世の中だからこそ、なんでも手にしようとするのではなく、自分が何を求めているのかどうしたいのかを把握したうえで情報を仕入れる姿勢を大切にしなければいけないと感じました。
⭐️印象に残ったところ⭐️
書物を読めば読むほど、世の中にはもっとたくさんの情報があること、自分が知らないことが大量にあることを思い知らされるのです。
情報の濁流のなかで自己肯定感を得るためには、自分なりの方向性を持ってビオトープ的な積読環境を構築し、それを新陳代謝させるしか方法はありません。
永田希『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)(p210)