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「本を語る、人と繋がる」をテーマに札幌ゼロ読書会を主宰しています、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
今回のテーマは、「勉強の意義」についてです。
先日、このようなツイートをしました。
一番学んだときというのは「病気」に向き合ったときでした。
ネットや本をあさるように読んでいました。
テストで良い点を取るとか、良い学校に入れるとか、お金を得ることができるのが「学ぶ」ことではなくて、自分にとってプラスのベクトルに向かっていくのが学ぶことの本質だと思います。
— 井田祥吾|札幌ゼロ読書会主宰 (@shogogo0301) August 15, 2021
勉強と聞くとなんだかイヤイヤとやらされるようなイメージというか記憶が残っている方がいらっしゃるかもしれません。
小学生の頃から夕飯を取ってからの1時間は家庭学習の時間として机に向かう習慣がありました。
その間にこっそりとゲームをすることはありましたが、基本的には勉強をしていました。
それが染み付いたおかげか学年が上がっても勉強そのものに対する苦痛というものはありませんでした。
また、親から勉強をしなさいと言われた記憶もありません。
テスト前にゲームをしていて「余裕なの?」と聞かれることはあったので言い回しの問題かもしれませんが。
学校で学んだことがそのまま役に立つということは案外少ないように思います。
化学の周期表の「水兵リーベ僕の船」が必要なことはないでしょうし、納税の義務を知っていても確定申告を教えてくれることはありませんでした。
要するに、必要な情報は自分から取りに行かなくてはいけなく、学生時代に学ぶべきことはどうやって学ぶかという方法であることに今気づいています。
わたしの場合は量と時間を費やすことです。
高校入試まではそれで乗り切れましたが、大学受験には対応できませんでした。
それでも病気を経験したときに、それに関する大量の本を読み自分の生活に役立てました。
このときの経験が本ってすごいものだなというのにつながり、多くの人にこの素晴らしい本の魅力を伝えたいというのに繋がっています。
勉強=学校でもなければ、本でなくてもいいです。
自分に合ったやりかたをみつけて生涯学び続ける姿勢が大切なのではないかと思う今日この頃です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは、よりよい一日をお過ごしください。