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今回紹介する本は、シェリー・ケーガン(柴田裕之 訳)『「死」とは何か』(文響社)です。
イェール大学で23年連続の人気講義とあります。
テーマは「死」そのものです。
誰かと死について話すということはよっぽどの関係性がないとできないことかもしれません。
しかし、誰もが必ず死を迎えます。
なので、特に身近な人とは一度話しておくべきことなのかもしれないと感じました。
「死」は悪いものとして捉えられがちです。
しかしこれは誰にとっても悪いことなのでしょうか。
その地点で亡くなってしまうと、それ以降起こる良いことを享受できないからでしょうか。
では、それ以降良いことがないとわかっていたらそのポイントで死を選んでも問題はないのでしょうか。
ある地点を境にこれからが良いのか悪いのかは比較することができません。
なので、どのポイントが一番良いかというのはわからないということになりそうです。
自殺についても触れられています。
自ら死を選ぶということに関しても同じことが言えます。
哲学を考えるときにはそこに至るまでのプロセスが大事だと感じました。
自殺に関する講義の最後はこのように締めくくられています。
相手がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。
そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。
シェリー・ケーガン『「死」とは何か』(文響社)(p370)
とあります。
繰り返しますが、大事なのは答えではなく、ここに至るまでの経緯です。
それは今後哲学を学ぶうえでとても大切な姿勢であると感じました。
死に方を考えることはよりよく生きることにつながると思っています。
チェ・ゲバラの名言にこうあります。
明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?
あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのか。
とあります。
人生100年時代と言われていても、ちょうど100年で死を迎えるわけではありません。
それよりも短い人もいれば当然長い人もいます。
多くの人によって死のタイミングを選ぶことはできません。
いずれやってくるそのときまで自分を磨き続けることが、よい生となるのだと改めて感じました。