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こんな質問を頂きました。
祥吾さんの表現の原点は?
「本を語る、人と繋がる」をテーマに札幌で読書会を開催しています、本のチカラで癒しと安らぎを与える読書療法士の井田祥吾(@shogogo0301)です。
この記事を書いている2020年12月現在でブログの記事数は600を超えています。
好きでないことは当然ながら続かないはずですので、自分の中にもきっと表現するということに対する好きという思いがどこかしらにあるのだと思っています。
その辺りについて考えてみようと思います。
振り返ってみると小学生の頃はどちらかというと目立ちたがり屋であり、劇の主役に立候補をした記憶もあります。
だんだんと恥ずかしがり屋さんになり、ひっそりとした学生生活を送っていたように思います。
人は誰でも自分のことを知ってほしいという感情があるのではないかと思っています。
赤ちゃんがお腹すいたと泣くように、大人になってもその感情を理解してほしいという感覚はあると思っています。
その理解の一つが評価だと思っています。
学生時代の作文の授業は好きでしたか?
わたしは書くことに迷うことがあってもその書くという過程が好きであり、読書感想文を苦にした記憶もありません。
嫌うことが多い作文をなぜわたしが苦にしなかったのかを考えてみると、そのときは無意識だったのかもしれませんが、徹底的に読み手を意識していたからだと今振り返って思います。
作文の読み手は担任の先生です。
純粋な気持ちというよりも先生に気に入られようと考えて書いていたかもしれません。
それ自体は振り返ってみても悪い気はしません。
純粋な気持ちも大切ですが、結構小学生でも大人の反応を気にして行動しているでしょう。
そこで作文が評価されるというのがとてもうれしかったように思います。
読み手である先生の感情を動かすにはどうしたらいいだろうか?
それを考えて構成を考えたりしていた記憶があります。
結果として評価され市の文集にも載りました。
表現すること、特に「書く」ということが好きになった原体験はこの作文の授業にあったように思います。
表現するということに関しては、SNSが普及してからコツコツと続けています。
でもそれは大きな湖に投げる小さな石のようになんの影響もないのかもしれません。
だけど書いたものが誰かのどこかで感情をちょっとでも揺りうごかすものであったらいいなと思っています。
今は、この「本の話をしよう」というブログを中心に書いています。
今は閉鎖をしてしまったのですが、以前は別のブログを運営していました。
就職をしたタイミングで、病気でも良くなってふつうの生活を送れることを伝えたいという思いがありました。
それを日記のようにつづっていました。
同じように病気でつらい思いをしている方から相談をもらい答えて、役に立てていると感じてとてもうれしく思いました。
障害を持っていても働いたり、趣味を楽しんだりと生活できることを伝えていくことは今のスタイルでも、同じような発信をしている人の発言を広めることでできると感じて、このブログに一本化させることにしました。
わたしが表現することを好きになった原点は、
人に気に入ってもらえる。
役に立てる。
の二つにあるようです。
今でも作文のように、以前のブログのように、読み手を意識して文章を書いています。
ブログでも読み手を意識するのは大切ですね。
複写はがきもコツコツと書いています。
表現の仕方は色々あります。
文章、動画、音声や写真、あげればもっとあるでしょう。
自分のやりやすいやり方で自己表現をしていくのがいいんじゃないかと思います。
リクエストありがとうございました。
(eye catching photo by chiho)