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「本を語る、人と繋がる」をテーマに札幌ゼロ読書会を主宰しています、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
今回は、タイトルそのままなのですが「本を読むことは手段でしかない」ということについて書きます。
先日、このようなツイートをしました。
本を読むというのはあくまでも手段です。
おもしろい映画があるよと聞いて、わざわざ原作から読んで、それで満足することはありません。
逆に小説を読んで満足すれば別に映画を観る必要もないのかなと思います。
映画化が小説の映像化の確認作業なら避けたほうが良さそうです。— 井田祥吾|札幌ゼロ読書会主宰 (@shogogo0301) September 15, 2021
小説と映画の相性はいいですよね。
小説が原作となり映画化される作品が多いかと思います。
小説と映画だったらどちらを先に手にすることが多いでしょうか?
わたしは知ったのが先の方から取り入れるようにしています。
教えてもらったのが小説だったらそちらを先に読みますし、映画が先だったらそちらを先に観ます。
本が好きでも「映画がいいよ」と教えてもらったのにあまのじゃくのように小説からということはしていません。
どちらもいいよと言われた場合には映画から入るようにしています。
小説の醍醐味のひとつでもありますが、それは自分の頭のなかで自分だけの「画」を構築するところだと思っています。
ぼんやりとしたものでもこんなキャラクターがこんな感じで話しているのかなと想像したり、場面展開をイメージするのがおもしろいです。
原作に忠実であればあるほど、小説を読んでからの映画というのは「小説とどこが違うか」という確認作業になってしまいます。
そして、自分だったらこう描いていたと思ってしまうのです。
これが映画が先だったら小説で読んだときに描くことができなかった、気づくことができなかった間に気づくことができます。
話が逸れてしまいましたが、小説や映画が持つものはストーリーです。
それを得るための手段にはあまりこだわらなくてもいいんじゃないかと思っています。
参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは、よりよい一日をお過ごしください。