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「本を語る、人と繋がる」をテーマに札幌ゼロ読書会を主宰しています、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
なんとなく思い出した小話から発想を膨らませたお話をしてみようかと思います。
こんなツイートをしました。
高校のときの英語の先生が、
「ぼく、鼻セレブって何て訳したらいいか分からないんですよね〜」
と言っていたのを思い出しました。
言語って言葉の置き換えじゃないことを学びました。
10年経って答えが出ているのか気になります。 pic.twitter.com/ZjaUElwxV8
— 井田祥吾|札幌ゼロ読書会主宰 (@shogogo0301) June 8, 2021
どんな文脈でこの「鼻セレブ訳せない問題」のお話が出たのかは記憶していません。
それでもこのお話はずっと覚えていて、鼻炎の調子が良くないときに鼻をかむたびに思い出すのです。
セレブはもう英語ですし、鼻はnoseということは調べなくてもわかることです。
それでもわからないということはきっとそうしたところで日本人が「鼻セレブ」と聞いたニュアンスをそのまま伝えることはできないということなのだと思います。
言語というのはその国の文化や歴史が大きく反映されています。
よくある例としてあげられるのは日本語の一人称の多さです。
あえてあげませんが無数にあるように感じるかもしれませんが、英語だと“I”のひとつですよね?
日本語には雨の表現が多いのも土地柄を表しているということですね。
言語というのはその国の特徴を表しているところもあるので翻訳というのは単なる置き換えではないのでしょう。
日本語に、外国にその表現がなかったら別の表現をもってくるしかありません。
よく翻訳物でも訳者が違うと雰囲気が違うというのはこういうところも関係しているのかなと思います。
そのようなところを意識して翻訳物を手に取ってみるのも楽しいかもしれませんね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それではよりよい1日をお過ごしください。
(eye catching photo by chiho)