札幌で「本を語る、人と繋がる」をテーマに読書会をやってます、井田祥吾(@shogogo0301)です。
先日、2019/11/25に若獅子の会に参加をしました。
若獅子の会とは月刊誌『致知』を読んで書いた感想文を発表し、その良いところをフィードバックし合うものです。
特に問題はないと思われますので、その時の感想文をアップします。
総リード 特集 語らざれば愁なきに似たり
この「語らざれば愁なきにに似たり」というのは初めて聞いた。
本文にも書いてあるが「何も語らなかったら何の愁もないように見えるでしょう」という意味だろうとある。
言葉の力について考えてみようと思う。
人間は言葉を使ってコミュニケーションを取っている。
しかしそれだけではないのである。
ジェスチャーや目線などの非言語的コミュニケーションを使うことによって意思疎通を図っている。
そこで考えるのが「目は口ほどに物を言う」ということである。
口では何も語らずとも目にはものをいう力が宿るのだと思う。
この「語らざれば愁なきに似たり」と真逆のようであってそうではないと思う。
というのも目で見えるものが全てではないからである。
人間には意識をしている顕在意識と無意識領域の潜在意識がある。
そう考えるとこの潜在意識の可能性というものはとても大きく顕在意識の三万倍という話を聞いたことがある。
つまり、目で見える情報はそれとして正しいものであるが、それだけが全てというわけではないということだ。
目で見て心で感じることが大切である。
相手の言葉と目で訴えているもの以上に相手のことを慮ることができるように心の平穏を保ちたいと思う次第である。
内なる悲しみと向き合う
生きることと死ぬこと。
対極の存在のようで実は同じカテゴリーに属している。
昔、ビートたけしさんの詩集を読んだ。このようなことが書いてあった。
「どれだけ頑張っても行き着く先は死。ということは一生懸命生きろということとさっさと死ねというのは同じことか」。
仏教関係の新書を読んだときにも同じようなことが書いてあった。
人間はどうせ死ぬのになぜ生きるのか。
この対する答えは言葉では表せない超越したものである。
その答えを探すのが生きる意味であるということだ。
自分自身病気を経験する中で生と死については様々な思いを巡らす。
10年前に今のような状況になっていたとは予想できなかったように、10年後の未来を思い描いても杞憂に終わるだろう。
それならば1日1日を丁寧によりよく誰かのためになることを一つでも多くやり遂げて生きていく道を模索し続けていきたいと思う。