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こんにちは、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
読書会の開催や発信活動を通して、本の魅力や読書の素晴らしさを伝えています。
今回紹介する本は、夏目漱石『吾輩は猫である』(角川文庫)です。
具体的なイメージはしていないのですが、古典作品を積極的に読んでいくことを今年の目標にしています。
かつて千円札の肖像画にもなっていたほどの人物ですので夏目漱石の名前を知らないという方は少ないのではないでしょうか?
少なくとも本好きの方は知っているけれども読んだことはないくらいだと思います。
高校一年生のときに授業で『こころ』が取り上げられました。
『こころ』はもともと新聞連載でしたので、毎朝その新聞連載分で配られて読んでいました。
途中から待ちきれなくて文庫本を買って読んだのも今となっては思い出です。
『吾輩は猫である』は夏目漱石の処女作です。
冒頭の本の枕はあまりにも有名です。
吾輩は猫である。名前はまだない。
夏目漱石『吾輩は猫である』(角川文庫)(p10)
この部分をもじって使われる作品もたまに目にしますよね。
この物語の語り手は猫です。
英語の教師であった苦沙弥(くしゃみ)先生に飼われた猫の視点で物語が進んでいきます。
猫が人間の言葉で語っていきます。
猫が人間の言葉を理解していますが、猫の言葉はニャーニャーと鳴くだけなので伝わることはありません。
実際の飼っているペット等も実際はこんな感覚で人間世界を眺めているんじゃないかと思ったりもしました。
猫と人間という会話が成り立たない関係だからこそこの小説は成り立っています。
人間たちの言動を風刺して書くためには人間の視点では成り立ちません。
人間としてそこにいたらやりとりが発生してしまいます。
だからこそ猫という存在あり、人になつくのが自然な動物が選ばれたのかなと思います。
苦沙弥先生は勉強熱心のように周りには思われていますが、猫はサボっていたりやってみては挫折をしたりしている姿を知っています。
ずっと一緒にいるとみられたくない姿というのもみられているのかもしれませんね。
苦沙弥先生の元には色々な人が集まってきては議論をしています。
美学者の迷亭、科学者の寒月、新体詩人の東風や哲学者の独仙といったところです。
彼らの他愛もない会話を猫の視点で眺める様子がおかしく感じました。
主人公は猫ですが、冒頭で吾輩というあたりなかなか格式が高いです。
プライドもなかなかありそうです。
人間にせよ、動物にせよ、おのれを知るのは生涯のだいじである。
おのれを知ることができさえすれば人間も人間として猫より尊厳を受けてよろしい。
夏目漱石『吾輩は猫である』(角川文庫)(p423)
猫のほうが上ということですね。
新体詩人の東風の言葉が印象的でした。
ぼくの考えでは人間が絶対の域に入るには、ただ二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。
夫婦の愛はその一つを代表するものだから、人間はぜひ結婚して、この幸福をまっとうしなければ天意にそむくわけだと思うんだ。
夏目漱石『吾輩は猫である』(角川文庫)(p450)
ちなみに新潮文庫の『文豪ナビ』には「大人の読み物」と紹介されていました。
40歳くらいになり、社会である程度の経験を積んできて人生はこのようなものだとわかってきたなというタイミングで再読をしてみたいです。
実際に途中読んでいて何を言っているのか正直わからない部分がありました。