今回ご紹介する本は、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(新潮社)です。
哲学の入門書として紹介されることも多いです。
帯にはオードリーの若林正恭さんが、
國分先生、まさか哲学書で涙するとは思いませんでした…
という言葉を記しています。
江別で開催されている積読読書会に参加をしたときに読んでいる方がいて興味を持ち、積読の山から引っ張り出して読みました。
私はストレングスファインダー での強みとなりうる資質の一位が内省ですので、もともと考えることが好きです。
ただ、哲学そのものは難しいというか勉強したいと思っているところです。
そもそも哲学とは何をする学問でしょうか?
「増補新版のためのまえがき」にこのようにあります。
本書が哲学の本であるとは、それがある問題を扱っていることを意味する。
哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営みである。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮社)(4頁)
としています。
答えの出ないものを延々とただ考えているわけではないということです。
そこで今回この本で取り上げられるのが「暇と退屈」です。
誰でも暇や退屈を感じたことはあると思います。
その空虚とも思える時間にどのように向き合っていくのかが問われています。
大人になるにつれ暇な時間を感じることは少なくなりました。
仕事をしている時間はやるべきことがあるので暇を感じることはありません。
でもだらだらとSNSを見て過ごしてしまったときは暇だからやっていたのかなとも思います。
退屈に関してはその時間をどう感じるかの主観によるところが大きいので、仕事に関しても感じることはあります。
不思議なのは求める環境がすぐに与えられることが必ずしも暇と退屈の解消につながるわけではないということです。
ウサギ狩りをする人にウサギをあげたら本当に満足するのかという例が出されていました。
狩りをする過程にも意味があるということです。
時間と労力をかけるという無駄とも言えるものがあるからこそ当人おいて価値を感じることがあるということがあります。
途中で動物の生態について引き合いに出されていました。
それについてついつい人間の尺度で物事を眺めてしまうことがあります。
その動物の世界観で見ると合理的であっても、人間からするとおかしいということは多々あります。
これは個人の間でも置き換えて言えることなのだと感じました。
哲学は考えることの過程を含めて楽しむ学問であると感じました。
それは有名な哲学者を覚えることでも名言を知ることでもありません。
答えのようなものを手探りで考えていくことそのものが喜びなのだと思いました。















