今回ご紹介するのは、朝井リョウ『そして誰もゆとらなくなった』(文藝春秋)です。
朝井リョウさんのエッセイ「ゆとり三部作」の第三作です。
どうやったらここまで面白く書けるのか、それとも、そもそも出合うエピソードそのものが面白いのか。
そんなことを考えながら読み進めました。
朝井さんは、目指すエッセイの書き手としてさくらももこさんの名前を挙げています。
確かに、さくらももこさんのエッセイは、深く考えすぎずとも自然に楽しく読むことができます。
本には教育的な側面があると言われがちです。
それでも、読んでいるその瞬間に純粋な喜びを感じられることも、同じくらい大切なのだと思います。
「役に立つ」「意味がある」といった価値を、無理に求めなくてもいいのだと感じました。
特に印象に残ったのは、「空回り戦記〜サイン会編〜」です。
サイン会の会話を盛り上げるために、朝井さんは過去にもらった手紙の差出人や内容をデータベース化することを思いつきます。
横にパソコンと検索係を配置し、サインを書く際に名前を伺って検索してもらう、という試みでした。
なかなかヒットしないまま時間が過ぎますが、ついに該当する手紙が見つかり、その内容に触れながら会話をします。
盛り上がるかと思いきや、相手は手紙の内容を覚えていなかったり、不気味に思われてしまったりする、という結果でした。
手紙は、その場の熱量をぎゅっと閉じ込めたものです。
時間が経ってから内容に触れられると、当時との温度差が生まれてしまう。
朝井さんのエピソードを読んで、その感覚がよくわかりました。
これは、私がSNSを使っているときにも感じていた違和感です。
投稿してから数日後、実際に会った際に「あの時の投稿」について話題にされると、なぜか居心地の悪さを覚えることがありました。
その理由が、これまでうまく言葉にできずにいました。
SNSでの発信は、その瞬間の気分や勢いも含めて成立しています。
時間が経ってから現実の場に持ち出されると、そのときの温度だけが抜け落ちてしまうのだと感じます。
朝井さんの文章を読んで、あのモヤモヤの正体はこれだったのだと腑に落ちました。
クリスマスシーズンにホールケーキを食べ過ぎて脂質異常症になった話も印象的です。
このエピソードが、本書の表紙の絵にもなっています。
ラジオ出演が増えていた時期と重なり、エッセイの題材探しに苦労していたことも語られていました。
またどこかで、朝井さんのエッセイを読めたらいいなと思います。















