今回ご紹介するのは、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(早川書房)です。
第10回課題本読書会で取り上げることになり、手に取りました。
第三次世界大戦後、放射線によって荒廃した地球を舞台にした、近未来ディストピアSF小説です。
普段あまり手に取らないジャンルということもあり、読むのには正直苦労しました。
二回読んで、ようやく全体の雰囲気をつかめたかもしれない、という程度の理解でした。
読書会では、参加者の皆さんの読み込みの深さにただただ感心するばかりでした。
この小説の世界では、アンドロイドは駆逐されるべき存在として扱われています。
しかし外見や振る舞いは人間とほとんど変わらず、容易に見分けることができません。
そこで、アンドロイドかどうかを判別するためのテストが行われています。
人間と区別がつかない存在が当たり前にいる世界で、「人間であること」とは何なのかを考えさせられました。
作中では、登場人物自身が本当に人間なのかを疑い、テストを受ける場面も描かれています。
現代に目を向けても、私たちが無意識にやり取りしている相手が本当に人間かどうかは分かりません。
反応があまりに早いという、本来は便利であるはずの点を、機械として受け取っている場面もあるかもしれません。
また、人間の優位性は「心を持っていること」だと言われることがありますが、AIのほうが気持ちを理解してくれた、というカウンセリング結果を目にしたこともあります。
ここまで考えると、人間が持つべき資質とは何なのか、分からなくなってきます。
そこで重要になるのは、人間側がそれらを「どう使うか」という視点だと思いました。
もちろん、治安を脅かすような暴走したアンドロイドが現れた場合には、それを止める必要があります。
しかし、機械である以上、その価値は使い方次第でもあるはずです。
電子ペットが徐々に広がりを見せ、生成AI技術を相談相手として活用する人の声も聞くようになりました。
私にとって、その究極形はドラえもんだと思っています。
のび太とドラえもんの関係性に、これからの人間とAIの距離感が近づいていくのではないかと感じています。
ただし、ドラえもんがいるからといって、のび太は友達と遊ぶことをやめてはいません。
付き合い方や行動の選択肢の一つとして受け入れる、そのくらいの距離感でよいのではないかと、今のところは思っています。















