今回ご紹介する本は、永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』(晶文社)です。
以前、読書会で紹介されたのをきっかけに興味を持ち購入しました。
第17回「わたくし、つまりNobady賞」を受賞されています。
著者の永井玲衣さんは哲学研究者であり、哲学対話という場をつくっています。
哲学対話とはテーマに対して、あれやこれやと議論をしていく場であると感じました。
永井さんの場でのルールとして「よくきく」「自分の言葉で話す」「〈結局ひとそれぞれ〉にしない」の3つを挙げられていました。
必ずしもまとめのような結論をつくらないというのも特徴のひとつかなと思いました。
私は強みとなりうる資質がわかるストレングスファインダーのテストを今までに2回受けました。
2回とも1位は内省でした。
内省は簡単にいうと深く考えることを好む、得意とする資質ということですが、その活かし方として哲学をすることがありました。
それから自分の強みを磨いていくためには哲学だと思い、関連ジャンルの本をいくつか読んでみましたがピンとこないものもありました。
私が知りたいのは有名な哲学者の名前でもなければ、理論の名前でもありません。
それらを知ったところで自分の思索が深まるとは思えないものも正直ありました。
私が知りたいのはあくまでどうすれば自分が不自由なく使える内省を生かすことができるかということでした。
この本を読んで、哲学ってもっと身近なものであることがわかりました。
そもそもそこまで生かそうと思っていなくても自然としてしまっているものなのかもしれません。
何かに対する事象をあれこれと言葉を尽くして話すよりも、すでにそれについて考えられていて議論がされている場合というのもあるはずです。
その時に使えるのが理論です。
理論の名前を必ずしも知っている必要はありませんが、長ったらしい説明が一言で済むなら使った方がいいはずです。
哲学で大事なのは結果だけでなく、そこに至るまでのプロセスであると感じました。
これは本を読むという行為にも非常に被るところがあります。
今は要約サービスやYouTubeの解説等、最近では生成AIを活用することにより、本を読んでいなくても本の内容にアクセスすることができます。
でも、本の内容を知っていることと本を読んで考えることは別の行為だと思います。
その本を読んで得られる結論が一緒だとしても、本を通して読んで得られるものが一緒とは限りません。
それは説得性と言い換えることができると思います。
本を一冊読み通すことによって得られる満足感というものがあります。
もちろん便利な時代ですので、時短できるものを使うことがわるいとは思っていません。
大切なのはそういうものを利用することが代わりにはならないということです。
要約が本を読むことの代わりにならないです。
一方で本全体を読むことが必ずしも優れているわけではないというのは心のどこかに残しておきたいです。
私は読書会での対話の時間をとても大切にしています。
本の紹介交流の読書会の半分は雑談です。
テーマは特に設けず、紹介された本を手にとって話をします。
誰かがずっと喋り続けるわけではなく、意見を交換し合う時間となっています。
これはもしかしたら哲学をしている時間でもあるのかなと思いました。
本書を読んで哲学というのがとても身近に感じることができました。
ひとりであれやこれやと考えるのも哲学だと思います。
すぐに答えが出るようなことばかりの世の中ではありません。
でも、むしろそうであるからこそ考えることの楽しみで溢れているのだと思います。















