忘れても、また読みたくなる

今回ご紹介するのは、朝井リョウ『風と共にゆとりぬ』(文藝春秋)です。

小説家・朝井リョウさんによるエッセイで、『ゆとり三部作』の第2作にあたります。

 

第1作『時をかけるゆとり』(文藝春秋)の帯には、「圧倒的に無意味な読書体験」という言葉がありました。

実際、読んだ当時は「とにかく面白かった」という記憶だけが残り、内容はすっかり忘れていました。

だからこそ妙に印象に残る、不思議な読書体験だった気がします。

そして今回も、同じ読後感を味わうことができました。

 

私の知る小説家の中には、エッセイは苦手だと公言する方も少なくありません。

ただ、そういう方でも実際には面白かったり、示唆に富んでいたりする文章を書かれることが多く、書くことを生業とする人の技を感じます。

 

朝井さんは、そもそもエッセイを「苦手」とするタイプではなさそうです。

とはいえ、朝井さんの周りでいつもこんな面白い出来事が起きているわけではないはずです。

起こった出来事をどこまでも俯瞰的に見ながら、逆に近視眼的に細部まで覗き込むように観察できる視点の切り替えこそが大切なのだと思います。

単なる失敗談でも、見方を変えれば笑い話になります。

朝井さんのエッセイには、その範疇を超えた面白さがあります。

 

こうした面白い話が次々と出てくるのは、「頭の中にある段階から面白い」というより、どこかで確かな分岐点があるからだと思います。

一流の食材をそろえたからといって、おいしい料理ができるとは限りません。

しかし、どこかで味の方向性が決まる瞬間があります。

大雑把に言えば、野菜を入れてぐつぐつ煮たあと、最後に味噌を入れるか、カレールーを入れるか、シチューの素を入れるかで料理の味が決まるということです。

ちなみにこれは山岳部の顧問の先生の教えです。

その分岐点で、面白く仕上がる方向を選び取ることができる。

だから朝井さんのエッセイは面白いのだと思います。

そういう捉え方がうまいからこそ、ラジオパーソナリティとしての語りも人気なのではないでしょうか。

 

エッセイはどれも面白く、内容も赤裸々です。

それでも、小説に対して悪い方向には働いていないのが不思議です。

正直、同じ人が書いた文章とは思えないほどで、そのギャップがまた魅力なのだと思います。

 

文学作品に触れていると、ついつい教訓的なものを求めてしまいがちになります。

しかし、教訓がなくても、読んでいる時間が少しでも楽しくなるだけで十分なのかもしれません。

朝井さんはエッセイの目標として、さくらももこさんを挙げていました。

まだ数冊しか読めていませんが、確かに似たような読書経験だと感じます。

 

単行本の書き下ろしとして「肛門記」が収録されています。

「お腹が弱い」朝井さんの“お尻まわり”のトラブルがつづられた一編です。

これこそ読んで何かが得られるわけではないのですが、また忘れた頃に読み返したい、そのことは覚えておきたい、と思わされました。

 

朝井さんは、書くことをどこまでも楽しむ人なのだと思います。

過去作も含めて、これからも楽しんでいけたらと思います。

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