大切な人をひとり思い浮かべてみてください。その人との距離はどうでしょうか? もっと縮めたいと思いますか? 変わらない距離間はなく、良好な距離感は日々変化していくのだと思います。そのようなことを考えながら読んだ小説があります。
大切な人との変わっていく距離感を深く考えさせられる一冊が、山崎ナオコーラさんの『美しい距離』(文春文庫)です。今作が山崎ナオコーラさんの初めての作品でした。著者紹介に、『目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。』とありました。その言葉に偽りなしで大変読みやすかったです。
末期がんの宣告を受けた妻の元に見舞いに行く夫が物語の主人公です。妻の母親をはじめ、かつてサンドウィッチ屋さんをやっていたので仕事の関係者も見舞いに訪れます。夫は仕事の調整をしながら病院に行く中で色々なことを考えていきます。
結婚をするような人でも最初から関係性が変わらないことはないでしょう。夫婦の関係性も年月とともに変化するように、大切な人との距離感も変わり続けます。出会った頃は丁寧語であったのがいつの間にかタメ口になり、子ができるとお互いの呼び方まで変わるなんてこともあるかもしれません。その距離感というのは微妙に変化していくものだと思います。それは亡くなってしまった後も続きます。会話をすることができなくて、相手のことを考える時はきっとあるでしょう。そういう意味でもいつまでも大切にしたい距離というのがあるのではないかと思いました。
がんというのはある意味で最期を意識させるポイントなのかもしれません。なったからといって社会とのつながりを絶つ必要はありません。病床でもサンドウィッチのレシピの構想をしたり、食材を持ってきた農家さんと話をしているシーンが印象的でした。
印象に残った一節を紹介します。
配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ。
山崎ナオコーラ『美しい距離』(文春文庫)(p52)
元々は他人であったわけなので、それぞれの世界があります。それを尊重しあえる関係性というのがとても素敵だなと思いました。
病院小説というと綺麗にまとめられていたり、御涙頂戴のイメージがありました。そうではなく、がんで亡くなる人が多い日本だからこそ考えなければいけない、逝く者と残される者の視点が考えられるのではないかと思います。
「人間は二度死ぬ」という話を聞いたことがあります。一つは肉体的な死であります。生きていくことができない、心臓が止まるときです。もう一つの死が、その人が忘れられてしまうことです。死んでしまっても誰かの心に残り続ける限りその人はまだ亡くなっていないといえるのでないでしょうか? それは生前との関係性とは違うかもしれませんが大切にしていたいものだとこの小説を読んで感じました。この作品は、私たちが日々大切な人とどのような距離感を保ち、そしてその変化をどのように受け入れるべきかを考えさせてくれる一冊です。