本を細かく分類することにあまり意味はないと思っています。このブログでも小説やエッセイくらいの分類をしています。もちろんエッセイのような小説もありますし、文学のようなエッセイもあります。小説でいうと大きくは大衆文学と純文学に分けられます。よく言われることとしては直木賞は大衆文学で、芥川賞は純文学と言われます。ただ芥川賞を取った作家がずっと純文学を書き続けるかといえばそのようなことは必ずしもそうとはいえません。誰によって書かれたかを抑えておくことは大事ですが、無理してジャンルでの整理は不要なのかなと今のところ思っています。
課題本読書会の会場としてお世話になっている円錐書店の店主福田さんに紹介いただき、荻世いをらさんの『彼女のカロート』(フィルムアート社)を読みました。ジャンルで言うと純文学と言えるのかなと思います。ちなみに純文学を辞書で引いてみるとこうありました。
(大衆文学・通俗文学に対して)純粋な芸術性を目的として創作される文芸作品。
『岩波国語辞典 第八版』
個人的な感覚としては人間の機微に注目しているという感じがあります。その一方で結局何が言いたかったのかがつかみにくい印象があるのも事実です。ずっとわからないままのものもありますし、再読をしたりあるときふとそういうことだったのかと気づく作品もあります。読み終えた感覚としては、この作品はまさしく純文学だと感じました。
お墓のメンテナンス事業をしている青年のもとに電話がかかってくることから話は始まります。どうしてか会話が成り立たず不思議なやりとりをします。電話の相手は女性アナウンサーで耳が聞こえなくなっていました。完全にではありませんでしたが、直接筆談も交えながらやりとりを進めていきます。彼女の要望は「お墓」の注文でした。それが表題になっています。彼女の境遇がやりとりで明らかにされながら、話が進んでいきます。
読書会「持ち寄り編」では、ワークを用意しています。それは本を「何が書いてあるか」「何を学んだか」「それをどう生かすか」に棚おろしにするというものです。すべてをきっちり埋めて発表してくださいというわけではありません。発表の補助にしていただければと提案しています。小説は「何を学んだか」「どう生かすか」まで考えるのはなかなかむずかしいです。そもそもそこまで考える必要がない場合もありますし、消化しきれていない場合もあります。そういう意味でもこの作品は焦らずじっくりとまた読んだときにも感じるところがあればいいのかなと思います。















