今回ご紹介するのは、村上春樹さんの『夏帆 The Tale of KAHO』(新潮社)です。
これまで読んできた村上春樹さんの作品と比べると、とても読みやすいという印象を受けました。もちろん夢や現実では説明のつかない出来事は描かれています。しかし、気づけば異世界へ入り込んでいたという感覚ではなく、現実と虚構の境界線をゆっくりと行き来しているような感覚でした。その曖昧さが心地よく、自然と物語の中へ引き込まれていきました。
この作品で特に印象に残ったのは、ヴァルター・ベンヤミンの「善き物語には、必ず何かしらの有用性が含まれている」という言葉です。私は読書会を続ける中で、「読書は人生を豊かにしてくれるもの」だと感じています。この言葉は、この作品だけではなく、小説というもの全体の価値を表しているように思えました。物語は答えを与えるものではなく、読者自身が自分の人生を考えるきっかけを与えてくれるものです。だからこそ、「有用性」があるのだと感じました。
主人公・夏帆と母親との関係も印象的でした。作中では、二人の間に何があったのかがすべて語られるわけではありません。その余白があるからこそ、読者はさまざまな想像を巡らせることができます。
読み進めながら私が考えたのは、「母親殺し」というテーマです。最初は、夏目漱石の『こころ』で語られる「父親殺し」の現代的な、あるいは女性版なのではないかと思いました。『こころ』では、父親や先生といった存在から精神的に自立していくことが大きなテーマの一つとして描かれています。『夏帆』で描かれているのは、母親という一人の人間を否定することではなく、「夏帆を支配している何か」から解放されようとする物語なのではないかと思いました。
そう考えたとき、この作品は私自身の経験とも重なりました。私は双極性障害を患っています。症状が重かった頃を振り返ると、自分の思考が誰かに乗っ取られているような感覚がありました。本来の自分とは違う何かが、自分を支配しているように感じていたのです。治療とは、その「支配している何か」を追い出す営みだったように思います。しかし、その頃の私を見ていた家族や周囲の人たちは、「今の私」がいなくなってしまうような不安も抱いていたのかもしれません。そのことを考えると、「本人ではない何かに支配されている」と感じながらも、その人物を殺すことには恐怖を覚えるという夏帆の葛藤が、私にはとても現実味をもって響きました。私たちは、「その人」と「その人を支配している何か」を明確に区別できるのかという問題があります。病気やトラウマ、強い思い込み、不安や恐怖など、そうしたものに人は時として支配されます。それでも私たちは、その人自身まで否定したいわけではありません。『夏帆』は、その境界について静かに問いを投げかけている作品だったように思います。
物語はそれ自体として、人生の正解を教えてくれることではありません。読み終えたあとに、「本来の自分とは何だろう」「私たちは誰を見て『その人らしい』と言うのだろう」と考え続ける時間を与えてくれることにあるのだと思います。物語は、現実を忘れさせるためではなく、現実をより深く見つめ直すためにあります。『夏帆 The Tale of KAHO』は、そんな読書の価値を改めて感じさせてくれる一冊でした。















