宮下奈都さんの『羊と鋼の森』(文藝春秋)を読みました。9月の課題本読書会で扱う『神さまたちの遊ぶ庭』を読み、そのころに書かれた作品ということで興味を持ち、手に取りました。物語に大きな影響を与えるわけではないものの作品の舞台は北海道となっていています。
高校生のとき、ピアノの調律師が仕事をする姿を見たことをきっかけに、その世界に入ることを決めた青年が物語の主人公です。専門学校を経て就職し、調律師として働き始めた彼は、3人の先輩調律師から仕事を学んでいきます。3人はそれぞれ仕事に対するスタンスも、言葉や態度も違います。しかし、その根底には調律師という仕事に対する真摯な姿勢が共通しているように感じました。
特に印象に残ったのは、主人公が嫌味を言ってくるような、普通なら少し距離を置きたくなる先輩に対しても、自分から積極的に技術を学ぼうとするところです。その姿勢によって、最初は厳しかった先輩の態度も少しずつ変わっていきます。人はどうしても「この人は苦手だから、この人からは学びたくない」と考えてしまうものです。しかし主人公は、自分に必要なものを持っている人なら、相手がどんな人であっても学ぼうとする。その姿勢には見習うところがあると感じました。
また、双子の姉妹も印象的でした。双子というと、同じように育ち、似た人格を持っているようなイメージがあります。しかし実際には二人はそれぞれ異なる人格を持った人間として描かれています。そして互いに相手の中に、自分にはない才能を感じるからこその葛藤もあるのだろうと思いました。
本作を読んで考えたのが、「才能」と仕事の関係です。
一昔前に「好きなことを仕事にする」という言葉が流行りました。私は、この考え方に必ずしも賛成ではありません。仕事とは、自分が好きなことをするだけではなく、困っている人を助けたり、相手に感動や価値を届けたり、その対価を得ることだと思っているからです。好きな気持ちがあることは大切です。しかし、好きだからといって必ずしも仕事として成果を生み出せるとは限りません。仕事として続けていくためには、ある程度の才能も必要でしょう。努力だけですべてが報われるわけではないと思います。
だからこそ、「努力すれば必ず夢はかなう」という言葉にも、少し慎重でありたいと思っています。
一方で、自分には才能がないと判断するのも、そう簡単ではありません。才能がなければどうしようもない場面は確かにあるでしょう。それでも、「自分には才能がない」と諦める前に、自分が納得できるところまでやったのかを考えることは大切です。
どれだけの時間を使ったのか。どれだけ工夫したのか。どれだけ人から学んだのか。
そこまでやった上で「これは自分には向いていない」と思うのであれば、趣味として楽しむという選択もあっていい。好きなことを必ず仕事にしなければならないわけではありません。
私自身、現在は本に関する活動を会社の仕事とは別に、副業として行っています。いつかは本の活動だけで生活できたらと思うこともありますが、今のような形であっても、好きなことを続けながら誰かに価値を届けられていることには意味があると思っています。
『羊と鋼の森』は、音楽やピアノが好きな人だけにおすすめしたい作品ではありません。
「これが本当に自分に適した仕事なのだろうか」と悩んでいる人や、好きなことに取り組んでいるのに思うような成果を挙げられずにいる人にこそ、読んでほしいと思います。才能があるかないかを簡単に決めてしまうのではなく、自分が納得できるところまで向き合ってみる。その先に、自分なりの仕事との付き合い方が見えてくるのかもしれません。















