こんにちは、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)と申します。
「本を語る、人と繋がる」をテーマに、札幌ゼロ読書会の運営をしています。
また、ブログやSNS、ポッドキャスト等の発信活動を通して、本の魅力や読書の素晴らしさを伝えています。
今回ご紹介するのは、松尾聡さん著『徒然草全釈新装改訂版』(清水書院)です。
本棚の整理をしていて出てきました。
こちらは高校一年生のときに授業で徒然草を扱うときに全体で購入希望を募り、手にした一冊になります。
当時、現代語訳でもいいので読んでみましょう、ということで読んだ記憶がありました。
時が経つときっと感じ方も変わってくるだろうということで再読をすることにしました。
「つれづれなるままに」から始まる序段は有名です。
何もすることがなく一日中すずりに向かっていると気がおかしくなってきそうだ、という内容です。
その気持ちを文章として書き残したとしてもすぐに周りからの反応があるわけではありません。
今だとスマートフォンがありますし、SNSがあります。
現代に兼好法師がいたらSNSを使うのかなと想像をしてしまいました。
そもそも反応を気にしてしまったら道から外れていくのかなと思います。
人生訓となる言葉も多数あります。
それらはきっといろいろな所で紹介されていると思います。
私が「おっと」思ったのは第百四十八段のお灸の話でした。
私は夜、寝る前のリラックスタイムにお灸をしています。
最近は、足三里という場所に据えているのですが、徒然草のなかに「年が40を超えたらこの場所にお灸を据えなさい」と書かれてびっくりしました。
この頃から足三里というのは大事なお灸の場所であったこと、それについて徒然草で言及されていたことを知りました。
高校生のときに読んでときには何も感じていませんでした。
歳を重ねていろいろな経験をしているからこそ得られる発見というものがあるのだと感じました。
こういうところに再読の面白さがありますね。
古文のまま読むには外国語を学ぶように文法に関する知識がある程度必要です。
訳文で読んだからといってその魅力が落ちるということはないと思います。
ただ、古文のほうがリズムの良さを感じられる部分も多いので原文と訳文の両方が掲載されているのをおすすめします。
時代によって変わっていく価値観もありますが、現代においてもなるほどと思わされる考え方もありますので、ぜひ触れてみてほしいなと思います。