こんにちは、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
「本を語る、人と繋がる」をテーマに札幌ゼロ読書会の運営をしています。
また、ブログ、SNSやポッドキャスト等の発信活動を通して、本の魅力や読書の素晴らしさを伝えています。
人間学を学ぶ月刊誌である『致知』を定期購読しています。
この『致知』の記事を元にした読書会は木鶏会と呼ばれています。
その中でも35歳以下の若手で構成されるものを若獅子の会と言います。
そこでは事前に課題文をもとに感想文を書いています。
若獅子の会では感想文をシェアして良かったところを美点凝視の観点からフィードバックをします。
そこで発表した課題文をこちらにアップします。
月刊誌『致知』興味のある方は致知出版社から見本誌のプレゼントもありますので、気軽にご連絡をお待ちしております。
2024年7月号 特集『師資相承』を読んで
今回の特集テーマは「師資相承」であった。
「師から弟子へと道を次代に伝えていくこと」とある。
師匠というのは今でいうところのメンターと呼ぶべき存在なのかもしれない。
私は今まで特定の方に師事をしたという経験はない。
メンターと呼ぶべきような方の元で過ごした経験もない。
ただ、自分の成長の過程の中で「学び」というものはとても大切であることは感じている。
それは主に本からの学びである。
特に『致知』を購読するようになってから、学びの姿勢が大きくなったように感じている。
本を通しての学びは自由が大きい。
今生きているだけでなく、すでに亡くなっている方からも教えを受けることができる。
場合によっては他の国で暮らす人からも学ぶことができる。
ただ、実際に対面で受けているわけではないので、怠けてしまったとしても叱咤激励してくれる人はいない。
自分自身をコントロールすることが本を通しての学びに特に大切なポイントであると感じている。
私は毎日コツコツと論語の素読を行っている。
意味がわからずとも声に出して読んでいると、漢文のリズムが心地よく感じる。
たまに『論語』が話題になっている文章に出合うと、そういう意味だったのかと気付かされることが多い。
宇野茂彦氏と數土文夫氏のなかで宇野氏の言葉が印象的であった。
それは、「学ぶことの大切さこそが、孔子が弟子たちに一番言いたかったことであり、いま私たちが受け止めるべき師資相承の言葉だと私は思うのです。」というものである。
社会人になれば強制的に学ばされることはなくなる。
だからこそ、学ぶ人とそうでない人で差が開いていくのだと思う。
また、机の前で本とノートを広げて行うものだけが学びではない。
日常のちょっとした気づきを仕事に転用するのも立派な学びである。
人生100年時代という言葉がよく語られる。
私自身は、もう30年とも言えるし、まだ70年もあるとも思う。
どんどん新しい技術も進歩していくであろう。
新しいものがすべて良いとは限らないが、拒否をしてしまうと自分の成長はそこにはないと思う。
古いものを学んでいるからこそ、新しいものの価値もわかるのだと思う。
論語にも出てくる温故知新の姿勢をこれからの時代を生きていくうえで大切にしたい。