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こんにちは、読書セラピストの井田祥吾(@shogogo0301)です。
「本を語る、人と繋がる」をテーマに、札幌ゼロ読書会の運営をしています。
また、ブログやSNS、ポッドキャストを通じて、本の魅力と読書の素晴らしさを広く発信しています。
今回ご紹介するのは、安部公房『箱男』(新潮文庫)です。
映画を観たのをきっかけに、久しぶりに再読しました。
高校生のとき以来です。
この作品は、頭からすっぽりとダンボール箱を被った「箱男」の手記という形をとっています。
箱の外からは、除き穴があることしかわかりませんが、内側からは箱の中にいる箱男が外の様子を眺めることができます。
この状況は、現代のネット社会における匿名性を感じさせます。
読者は、箱男の手記を読むことで物語に入り込みますが、ところどころで「これは同一人物によって書かれたものではないのでは?」という疑念が生じます。
箱の中にいる箱男が書いたという情報しかなければ、読者はそれを信じるしかありません。
このような経験はないでしょうか?
たとえば、久しぶりにLINEで連絡が来た相手とやりとりしていたら、途中でそのアカウントが乗っ取られていたことがわかる、というような状況です。
相手のアカウントが以前と同じように見えていれば、最初は疑わずに信じてしまうでしょう。
同様に、この文章は「私」が書いていますが、違和感があったとしても、それを否定する証拠は簡単には得られないはずです。
情報の確実性を判断するのは難しいものです。
物語の中で、女性を覗き見していた箱男が逆に覗かれる立場になる場面があります。
自分が安全で守られていると思いながら外を眺めていたはずが、ある瞬間に世間の目に晒されることがあります。
この立場の変化を、今の社会状況に重ね合わせて考えました。
物語は一人称視点で進むため、記録されている内容がどこまで事実なのかはわかりません。
現実と虚構が入り混じる部分があり、さらに、これらが本当に同一人物によって書かれたものなのかも疑わなければなりません。
この作品は、なかなか体験できない独特なスタイルの小説でした。映画と併せて楽しんでいただけると思います。